一時帰宅もOK?20代支社長のベトナム式マネジメント術と挑戦
- インタビュー
Documentary Working at RAZONA
ラソナベトナム代表 / ブイ・クオン・ティン
兵庫生まれ兵庫育ち、ベトナム人の両親の元に生まれたブイ・クオン・ティンさんは2012年当時、大阪の大学でコンピュータサイエンスを専攻し、大学院への進学を決めていた。ところが、年末が近づいてきたころ、彼の妹からの電話がきっかけとなり、進路は一転就職に。妹から紹介されたラソナ代表の話が魅力的だったからだ。とくにブイさんの心を動かしたのは、「ベトナムを任せたい」の一言だった。「ゆくゆくはベトナムで事業をやりたい」とぼんやり思い描いていた夢は大幅に前倒しとなり、実現に向けてことは運ばれていった。
まずはエンジニアとしてキャリアをスタート
ブイさんのキャリアはエンジニアからのスタートとなった。
「マネジメントをやるにしても、若いうちにいろんな経験をしておいたほうがいいという代表の意向があって、まずはエンジニアとして仕事をしました。僕としてもそれはそうだと素直に受け入れることができました。いろんな引き出しができてからマネジメントするのとそうでないのとでは大きな差が出てくると思ったからです」
こうして向こう3年間、ブイさんはさまざまな経験を積んだ。一年目はエンジニアとして、二年目はエンジニア・ディレクターとして。そして、仕事に積極的なブイさんの業務領域は営業にまでおよんだ。
「この3年間で業務フローが身をもってわかったのは大きかったです。営業のようなことをし、要件定義をし、制作をし、納品するというプロジェクトのプロセスすべてに関わることができました。二年目などは全部自分でやっていましたね。技術のこともわかるので、営業などの初期段階で詰めた話ができるんです。広告代理店には重宝されましたよ(笑)。でも案件が増えてきて限界を超えると、チームでやるようになりました」
ブイさんは大学時代、ISP(プロバイダ)を販売する営業のアルバイトに没頭した。週末ショッピングモールや家電量販店で通行客相手に一日100人以上声をかけた。
「平日は授業が終わると図書館に寄って、営業スキルを磨くための本を読みました。そして、土日のアルバイトでその術を実践する。これを繰り返しやると、どんどん結果がついてきたんです。数字が積み上がっていくプロセスは楽しかったですね。僕はサイエンスが好きなので、エンジニアなどになるのは規定路線なのですが、このアルバイトで営業の面白さと大切さを味わい、ビジネスの志向が芽生えていきました」
将来自分はなにを武器に仕事をしていくのか……、この頃からブイさんはかけ算で強みをつくっていくことを意識していた。専攻のコンピュータサイエンスを基盤としたITスキル、両親との対話で身についているベトナム語、そしてアルバイトの営業で磨かれたコミュニケーション力。ブイさんはラソナに入って3年間、この3つの武器を使って一人何役もこなしたのだった。
そして、2015年春、約束の時は来た。個人としても会社としても力は十分蓄えたとの評価で、ブイさんは満を持してベトナムに赴任することとなった。
はじめてのマネジメントとベトナムカルチャーの壁
ラソナベトナムは、ブイさんが赴任するタイミングで前身のジョイントベンチャーから一歩前進して、2015年に現地法人として誕生した。
「日系企業との合弁の時は、日本人が一人常駐していて、5人のチームで運営していました。この合弁を解消し、チームの何人かを引き連れてラソナベトナムを設立しました。登記など設立の手続きは全部自分でやりました。僕の裁量に任せてくれましたからね。これはいい経験になりました。手続きにはベトナム特有の慣習みたいなものがあって煩雑なのですが、その後ビジネスをしていくうえでは自分でやってよかったと思います」
弱冠26歳のグループ会社代表。マネジメント経験はゼロ。両親はベトナム人だが、それまでプライベートでベトナムを訪れたのは一度しかなかったというブイさん。やはり、立ち上げには苦労がつきもので、それが知らない土地なら尚のこと。
「マネジメントするというのは初めてだったし、ベトナム語を話せるといっても住んだことはありませんから文化や生活習慣の理解が浅いこともあって、メンバーには迷惑かけたなと思いますね。いちばん辛かったのはそのメンバーが辞めていったことです。2月は旧正月にあたりボーナス月ということもあって人材が流動化する時期なのですが、報酬面で大胆な決断ができなかった。売り上げを上げなければならないし、目の前の仕事も回さなければならない、だけど人は辞めていくしでどれもうまくいってない感じの一年目でした」
それでも一年経ってやっとベトナムにフィットするマネジメントがわかりはじめたという。ブイさんはガラリと自分の考え方を変えた。
「一年目は売り上げが立っていなかったので、ケチケチしてたんですね。僕の考えとしては、売り上げが立ってから給料を上げたかったのですが、GDPが6%から7%で急成長するベトナムでは遅いんです。とくにIT人材のマーケットは売り手市場ですから。先行投資で給料も払って、エンジニアも採用してというように積極拡大方向に舵を切ったら、売り上げはだんだんついてきました。受注が増えたのは、僕の飲ミュニケーション効果も少しありますけどね(笑)。一年目にまいた種がぽつぽつと実を結んだこともあって」
マネジメントはモチベーションを高めるために給料を上げることだけではないだろう。コミュニケーションによる異文化理解、これも二年目は深まったという。
「両方の国の人がそれぞれの文化を理解し合うためには、共に歩み寄らなければなりません。たとえば、勤務規律や納期において時間厳守というのは、日本が大事にしていること、譲れないこととしてありますね。ところが、ベトナムではさほど厳しく要求されることはありません。でもこれは日本では大事なことだから、ベトナムのスタッフにはよく理解してもらうことが必要です。逆に僕たちはベトナムのなにを理解するのか。ベトナム人は家族や友人、恋人をとても大切にします。ある日のことですが、エンジニアスタッフが勤務時間中に2、3時間離席させてくださいと直属の日本人上司に申し出ているのを目にしました。理由はガールフレンドが大学入試だから送り迎えしてあげたいと。その上司は理解できなかったようですが、僕はこの一件を見て決めました。報連相(ホウレンソウ)したうえで家族や彼女のために数時間離席するのもOKだけど、納期もちゃんと守ってくださいねと。そうすると、私用を終わらせた後、自宅に戻っても作業をしてくれたりします。双方が大事にしていることに折り合いをつけた形です」
日本とベトナムの両方が歩み寄り、Win-Winの関係を築く。その思いでここにいるというブイさん。現在4期目のラソナベトナムは、総勢20名となっている。
ラソナベトナム、これからの10年
ブイさんはマネジメントのほかに、エンジニア、ディレクター、アカウントなどの業務もこれまで通りこなしている。これはまだそうしなければならない事情もあるが、教え伝える立場に立ってメンバー全員のボトムアップを図る狙いもあるようだ。
「僕たちの技術力は向上して、オーダー通りにつくれるようになりましたが、ここで満足してはいられません。一般的なオフショアのような工程の下流の仕事は、中国からベトナムに移ったように、これからはカンボジアやミャンマー、バグラディシュなど人件費の安い国にどんどん移っていくでしょう。だから同じことをやっていてはダメで、より付加価値の高い仕事をしていかなければなりません。メンバーには、アカウント、企画、ディレクション、技術など一から十まで自分たちでできるようになろうよといっています。次の10年は上流の業務領域に食いこんでいきたい。このことはみんな理解してくれています」
この若さと経験でグループ会社の代表を任せてくれたラソナという会社を、ブイさんはどう思っているのだろうか。
「キホン、ほったらかし(笑)。……ちゃんというと、やってみなはれ、ですかね。手を挙げて、これがやりたいといえば、じゃあやってみたらと。こういうところ僕はいいと思いますね。ラソナの代表二人は楽観的なんですよ、いい意味で。これは計算してのことかどうかはわかりませんが、全面的に任せたとなれば、本人は一生懸命になるし、自己責任のマインドも育っていくんです。でも最後どうにもならない時は、手を差し伸べてくれる安心感があります。なにかチャレンジする環境としてはいいと思います」
任せる方、任される方どちらもリスクを伴うものだが、「やってみたら」は個人のやる気と力を引き出すラソナ式手法の一つであることは間違いなさそうだ。
インタビューに答えてくれた人
Bui Cuong Thinh / ブイ クオン ティン
1989年生まれ、兵庫県尼崎市出身。ベトナム人の両親の元に生まれる。大阪府立大学理学部卒。卒業後RAZONA Inc.に入社し、2015年5月よりRAZONA VIETNAM Co., Ltd.の代表を務める。
インタビュー / テキスト
和田 知巳 / わだ ともみ
ビジネスエグゼクティブ向け会員誌の編集長を経て、フリーランスに。現在はWebメディアを中心に、ビジネス、IT、ファッション・ライフスタイルなど幅広い分野で企画・執筆・編集を手がける。またライティング活動のかたわら、非常勤講師として外国人留学生に日本語を教えている。