長野で実現させた場所に縛られない働き方
- インタビュー
Documentary Working at RAZONA
Webディレクター / 宮田翔吾
自然が豊かな岩手県に生まれ育った宮田翔吾さんが東京で働きはじめてから9年が経っていた。ゆくゆくは田舎で暮らしたいとずっと思ってきたが、子どもができたことを機に移住の決意を固めた。しかし、仕事はどうしようか、家族を養えるだけの給料をもらえるだろうか、考えれば考えるほど不安は募った。宮田さんは立ち止まってはいられない思いで、移住に向けて動き出すが、会社から思ってもみなかった提案があった。
入社以来、ビッグクライアントの運用ディレクター
岩手から上京した宮田さんは、最初はイベントの会場設営などさまざまなアルバイトをしながら過ごしていた。色々な仕事を経験し3年ほど経つと、学校であったパソコンの授業が楽しかったことやパソコンを使ってなにか作ることを仕事にできたらとあのとき思った記憶と気持ちがよみがえってきた。
Webサイトを制作する仕事がしてみたいと思い、まずはインターネット回線の販売会社に入ったが、制作の部署には宮田さんただ一人。これでは成長は見込めないと2年で見切りをつけた。そしてラソナに入ったのは、2013年のことだ。
「入社以来、大手食品メーカーのブランドサイトや関連サイトの制作など、運用ディレクターとして携わっています。オススメのレシピを毎週更新したり、テレビCMが放映されるときはその動画を配信したり。また、キャンペーンのときにはページを構成し全体をディレクションします。運用のボリュームは結構ありますね」
この運用に関わるチームは営業、宮田さんの他にもう一人のディレクター、フロントエンドエンジニアなどオペレーションが2〜3人で総勢6名。社内でも一、二を争うビッグクライアントだ。
東京は性に合わない?長野への居住
宮田さんの東京の住まいは吉祥寺だった。ラソナ東京オフィスがある市ヶ谷までは約1時間、往復で2時間程度通勤にかかった。始業に合わせて9時に家をでて、家に帰るのは22時、23時というのが平日のサイクルだった。
「電車で通勤するというのがいちばん性に合わなかったですね。しかも往復で2時間。地元ではほとんど車で移動していましたので。休日にしても車のほうが好きなように動けるのですが、平日の疲れもあってか動く気になれず、家で寝ていることが多かったかもしれません」
宮田さんが結婚したのは2014年のこと。相手は前の会社で事務をしていた同僚の女性だ。そして2年後の9月、奥さんが妊娠した。
「子どもを育てるなら田舎でというのは前から考えていました。東京は子どもにとっての遊び場が少なかったり、道も狭くて危ないなと思っていたんです。人ごみもなく空気が澄んだ田舎でのびのび育てたいと。自分自身もゆくゆくは田舎で暮らしたい気持ちはありましたが、移住する直接的なきっかけとなったのは、やはり子どもができたことですね」
田舎で子どもを育てたいという思いは奥さんも同じだった。それは結婚してから二人の間で交わされた約束でもあったのだ。
移住先は奥さんの地元である長野。自分の地元の岩手にするか、長野にするか話し合ったが、なにかと便利さを考慮してより東京に近い長野に決まった。
退職願……しかし会社からの提案が
会社を辞めて長野で働こうと決めた宮田さんは、早速転職サイトやハローワークでWebサイト制作の求人を探し始めた。
「移住したいというのは僕のプライベートな希望なので、会社を巻き込むことはできないと思っていました。だから退職するつもりで当時の上司とラソナ代表に話をしました」
ラソナ代表の村元氏は「気持ちはわかった」ということで、宮田さんの退職はひとまず保留となった。
数日後、思いもかけなかった提案が会社側からあった。
「テレワークの在宅勤務で仕事を続けてみないかと提案されました。僕としても移住するにあたっては、転職活動のこと、転職後の給料のこと、生活環境のこと、すべて変わってしまう不安がありましたので、正直にいうとその話はありがたかったですね。いろいろ考えて、リモートで仕事を続けさせてもらうことにしました」
宮田さんにとっては渡りに船の提案であったことに違いないが、会社側もなんとか引き止めたかったのだろう。入社以来4年間、重要なクライアントのサイト運用をまじめにこなし、信頼関係を築いてきた。そのことは会社もわかっていたはずだ。
「長い間担当しているのですが、スケジュールだけは厳守でやってきました。
いくつかのタスクを同時進行している場合、遅れそうな雰囲気を感じとったら、先回りしてリスクヘッジするんです。そうやって厳しいスケジュールにも対応してきました。僕、かなり心配性なんです(笑)」
プロジェクトを進行するという職務において、用心深さは褒められるべきことだろう。
地方へ移住して感じるメリットとデメリット
現在宮田さんは賃貸アパートに家族三人で暮らしている。奥さんの実家はそこから歩いて10分の距離にある。「街中なので買い物するにも便利ですが、ちょっと車で走れば山の中にいける」適度な田舎暮らしを満喫しているというわけだ。
「移住してみてよかったことは、やはり通勤時間がゼロなので、子育てや家事などプライベートにあてられる時間が増えたことです。無駄な時間は減りました。ずっと自宅にいるので、子どもが泣いたりしたときは、妻へのちょっとした手助けもすぐできます。それに自分の場合、会社で仕事をするよりも集中できることがわかりました」
宮田さんの在宅勤務時間は9時から18時まで。残業することは徐々に減ってきている。それは生活空間と仕事部屋を分け、効率を意識して働いている証拠だろう。
今のところ在宅勤務に問題はないが、毎月一回クライアントとの定例ミーティングのために上京している。
「現在は月に一回対面MTGでのコミュニケーションを通して意思疎通を図ることにしています。対面のほうが電話やメールよりも話が早いということもまだまだありますね」
また、宮田さんは在宅勤務ゆえ心がけていることがある。
「会社のみんなからすれば、僕が本当に仕事しているかどうか見えづらいと思うんですよね。そういう疑念はなるべく持たれないように、電話には必ずでる、チャットやメールにはできるだけすぐ返信するなど、真摯な姿勢で対応することに努めています」
長野に根を張って、仕事も生活も楽しんでいきたい
宮田さんが東京を離れてから4ヵ月が経った。これから長野でできる働き方、その可能性をぼんやりとだが考えるようになった。
「まず、僕の生き方を認めてくれた会社に感謝しています。その意味でも、制限はされてしまうでしょうが、在宅でできる仕事の幅をどうしたら広げていけるか考えています。できたらここ長野の案件も取っていきたいし、フリーランスで活躍している人と自分のチームも作ってみたいですね。ここ長野で仕事の幅も人の交流もどんどん広がっていくと楽しくなると思います」
果たして宮田さんの人生はこれから長野でどんな展開を見せるのか……。
もしかしたらネクストステージは、今後やってみたいのだというきのこ狩りなど“遊び”から始まるのかもしれない。
インタビューに答えてくれた人
宮田 翔吾 / みやた しょうご
1987年、岩手県生まれ。さまざまなアルバイトを経験後、インターネット回線販売会社を経て、2013年ラソナに入社。大手食品メーカーのブランドサイトや関連サイトの運用に携わる。2017年4月、妻の妊娠がきっかけで長野に移住。現在はテレワークの在宅勤務で同サイトの運用を行なっている。家族三人暮らし。
インタビュー / テキスト
和田 知巳 / わだ ともみ
ビジネスエグゼクティブ向け会員誌の編集長を経て、フリーランスに。現在はWebメディアを中心に、ビジネス、IT、ファッション・ライフスタイルなど幅広い分野で企画・執筆・編集を手がける。またライティング活動のかたわら、非常勤講師として外国人留学生に日本語を教えている。