カナダへ留学するために4ヶ月間の休職。それは自分を見つめ直す機会でもありました。

  • インタビュー

Documentary Working at RAZONA
Webディレクター / 宮本しおり

大学で情報システムを専攻していた宮本が新卒で入ったのは、Webのシステム開発会社だった。ここではHTMLコーディングとプログラミングを学ぶが、「マーケティングやプロモーションに関わる制作の仕事がしたい」と思うようになり、テレビ局が設立したWeb制作会社を経て、ラソナへ。その後Webディレクターとして多くの実績を残してきたが、入社して3年目、宮本は仕事で行き詰まっていた。現状を打開するにはどうしたらいいのだろう?
宮本がとった行動は、海外留学という選択だった。

自分史上いちばん勉強になったプロジェクト

大手メーカーのWebサイトなど数々の企画提案、設計、運用を手がけていた宮本は、世界的なスポーツ用品メーカーのサイトリニューアルを担当することになった。それは振り返ってみても「私のキャリア史上とても勉強になったプロジェクト」だったという。

「コーポレート・ブランディングの方向性を見直すということで、かなり上流工程の段階からプロジェクトに参加することができました。グローバルで展開しているブランディング会社と協業できたことも私にとっては刺激的でした。すごくやりがいがあったのですが、実際やってみるとタフな仕事でしたね。私自身いろいろ考えさせられることも多くて」

コーポレートサイトのリニューアルとしてはやや長めのプロジェクトで、提案から納品まで一連の制作が完了するまで約半年かかったという。「タフだった」と振り返るこの半年間で、宮本は自分の課題を見つけることになる。

できない自分に苛立ち、へこむ

総合的なリブランディングプロジェクトの中でWebサイトの部分をラソナが担うことになったのだが、宮本がディレクターにアサインされた段階では、何をどう変えるのかはまったく決まっていなかった。したがって、CSRのガイドラインや営業上のポイントを踏まえたうえで、Webでの表現方法をクライアントに提案し納得してもらう必要があった。

「打ち合わせを重ねてこちらからデザインも含め何度も提案するのですが、コンセンサスが取れずなかなか前に進まない状況が続きました。要件定義の段階で心が折れてしまって……。何が違うの?どう違うの?ってこのときは自問するばかりでしたね」

進捗がない状況に当惑する日々が続く中で、宮本はこのプロジェクトに関わっている先輩プロデューサーの仕事ぶりを目の当たりにする。

「横から見ていると、私のコミュニケーションスキルの未熟さを感じましたね。プロデューサーはやっぱりニーズの聞き取りがちゃんとできているし、提案がロジカルなんです。クライアントから突っこまれたときの返し方も上手で(笑)。経験が豊富なので、ほかの実績を紹介することで提案に説得力も出る。ああ、こういうの自分にはないなって。今までディレクターですっていってきたけど、私は進行管理しかやっていなかったんだって。情けなくなりました」

プロデューサーが間に入ってくれて事態は少しずつ好転したが、サイトをどう表現するのか提案段階で多くの時間が費やされてしまった。しかしローンチを延期することはできない。結果的に実装にしわ寄せがいくことになり、宮本は追い詰められていた。

「こうなると人海戦術を取るしかないのですが、最終的にコーディングやシステムはベトナム支社にお願いすることになりました。でも私、英語できないんですよ……!時間もないのにどうしようと。お互い第二言語でのコミュニケーションですから、先が思いやられました。最初はスカイプで打ち合わせして、あとはチャットワークのテキストベースで依頼するわけですが、テキストと言っても英単語を羅列したようなものだから、お互いがちゃんと理解できていませんでした」

クライアントとのコミュニケーションに慣れない英語。宮本は不慣れなことが続き、打ちひしがれた。どうしてこんなに私はできないの?……。自分のいたらなさに苛立つも、反転してそれを力に変えることはできないでいた。

上司がカナダ留学への後押しをしてくれた

コーディングが終了し、あとはシステムの実装をするだけという段階にさしかかったころ、宮本はこのタフなプロジェクトをきっかけに英語を学びたいと思うようになっていた。ある日上司のチーフディレクターにそれとなく胸の内を打ち明けた。

「上司も私の思いを後押ししてくれました。ディレクターの人数が多くなかった中で、よく応援してくれたなと思いましたね。ただ、英語を学ぶために海外にいきたいといっても、会社に説明するためのちゃんとした理由が必要だということで、ベトナム支社との英語でのやりとりに苦労していること、短期間でそれなりの経験を身につけるためには海外へ身を置くことが必要だと話しました。そこで留学するために休職するという線で、どの時期が休職するのに適しているのか、誰にどんな目標を話していけばいいか筋道を立ててくれました」

ラソナの代表二人に説明するときにはあらかじめ上司が根まわししてくれていた。プロジェクト完了後、代表二人の元に留学したいと説明しにいくと「個人の夢を支援する」というラソナの経営理念もあってか二つ返事の快諾だったという。

「英語ができるようになって仕事でも使いたいという思いと、今思えば、別の環境に身を置くことで自分自身を客観的に見たいという面もあったかもしれません」

こうして宮本は休職を承認され、海外留学することになった。

収穫は英語の習得だけではなかった?

留学先は大学時代なじみのあったカナダのバンクーバー。宮本は大学が提供している入学事前準備プログラムを受講した。

「同じぐらいの年の女性が結構いました。私とは違ってみんな会社を退職して来ていましたね。29歳って将来の方向性を決めていくターニングポイントだと思うんです。彼女たちと話してみると、明確な目標がある人もいればそうでない人もいましたね」

宮本も仕事を通じて成長したい気持ちと、なかなか思うように成長できないという矛盾を抱えながらカナダに来ていた。これからの自分を考えるのに本当にいい時間を過ごしたという。

4ヵ月間「ほどほど一所懸命勉強した」という英語のほうは、ベトナム支社とのコミュニケーションをとる上で十分使えるまでになった。しかし、宮本にとって留学の収穫は英語ができるようになったことだけではなかった。

「私は性格的に一つのことしか考えられなくなったり、思いつめたりするところがあるんですね。なんでだろうってなんでだろうって考えても仕方ないことを考え続けたりするんです。うじうじと。でもそれが行って帰ってきたら、物事を楽観的に受け止められるようになりました。カナダの人々や風土がそうさせたんでしょうかね。それ以前は仕事は真面目すぎるぐらいやらないと誰も認めてくれないと思っていました。もちろん今でも真面目にやっているんですが、考えても仕方ないことを考えるのはやめて、次のアクションをどうするかという思考にうまく切り替えられるようになりました。うじうじするのはこれぐらいでいいんだって。ちょっと図太くなって帰ってきたかもしれません(笑)」

宮本は休職を許してくれた会社に感謝を口にする。

「私の希望を聞いてくれた上司、引き継ぎを快く引き受けてくれたチームの同僚、そして快く行ってこいと背中を押してくれた代表のお二人には感謝しています。会社全体の後押しがなかったら、私の留学は実現していませんからね。よく会社のみんなは私を信じてくれました。信じてくれたから、私は戻ってきたんです」

会社に属して働きながら、自分の夢を実現するのは簡単なことではない。夢の実現は周りのサポートがあってこそ。やりたいことがある人はとことん応援する、ラソナにはそんな気風があるに違いない。自分がさせてもらった経験を後輩に伝えていくことは、これから宮本がやるべき仕事の一つだろう。


 

インタビューに答えてくれた人

宮本しおり / みやもと しおり

1987年、兵庫県生まれ。大学卒業後、Webシステム開発会社でコーディングやプログラミングを学び、2014年ラソナ入社。現在はWebディレクターとして、大手クライアントサイトの企画・設計・運用に携わる。趣味はネットでの映画鑑賞。

 

インタビュー / テキスト

和田 知巳 / わだ ともみ

ビジネスエグゼクティブ向け会員誌の編集長を経て、フリーランスに。現在はWebメディアを中心に、ビジネス、IT、ファッション・ライフスタイルなど幅広い分野で企画・執筆・編集を手がける。またライティング活動のかたわら、非常勤講師として外国人留学生に日本語を教えている。

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